父の仕事の都合で、幼少期にはシンガポール、タイ、イギリスという3ヶ国で暮らす経験をしました。今回は、海外暮らしをした経験について、つらつらと書いていこうと思います。
幼少期の成功体験
シンガポールやタイは近年では移住先として特に注目されている国です。だからでしょうか、いろんな国から来た子どもと遊ぶ機会がありました。
ただ、通っている子どもたちがずっと留まるとは限りません。私の両親のように、国を行き来するという家庭も多かったのか、出会いも別れもたくさん経験しました。
短期間ですが、タイにいたこともありました。タイにも日本人街があって日本語が通じるエリアがあります。英語もかろうじて通じますが、それも観光地や日本人街に限り、ほとんどのエリアではタイ語が基本です。少なくとも、日常生活レベルのタイ語はマスターしておかないとタイで暮らすのは不便さを覚えました。
最初のうちは、周りの人が言っていることが分からないこともありましたが、不思議とそれが気にならなかったのを覚えています。「言葉が通じなくても、コミュニケーションができないわけじゃない」と前向きに信じていたからでしょう。
今でも、この信念が揺らぐことはありません。このマインドは、幼少期に「言葉が通じなくても、人と仲良くなれた」という成功体験が、メンタルブロックを解き、前向きな精神を育んでくれたのだと思います。
日本の高校に進学してアイデンティティを考える
進学する高校を決めるというタイミングになって、日本の学校に通ってみたいという気持ちが日に日に強くなりました。両親の計らいで日本文化に触れる機会が多く、自分のルーツがある国に行ってみたいと思うようになったのです。両親と相談して、日本の高校に進学することに決めました。日本にも、私のような帰国子女を受け入れるグローバルクラスを設けている学校がありました。
日本の高校生活はとても充実していました。友だちもたくさんできましたし、幼少期に海外で暮らしていた他の人たちの体験も興味深く、毎日が充実していました。
グローバルクラス以外の人と接する機会も、とてもいい刺激になりました。私は日本人として生まれたという自覚がありますが、英語を話せることに驚かれることがありました。逆に日本の文化に戸惑うこともあったので、「自分にとって、日本人としてのアイデンティティとは何なんだろう?」と深く考えるきっかけになったと思います。
海外に暮らしていたからといって、語学が堪能になったというわけではないかもしれません。日本で暮らし始めてからは、言葉をどんどん忘れていきましたし…(笑)
でも、他の国へ行ったときに、現地の方と話すのを楽しむメンタルや、現地の文化に強い興味を示す気持ちは、幼少期にさまざまなルーツを持つ友達と関わる中で培われたものなんだろうな、と思っています。